■英語の視点、日本語の視点
このブログでここまで何回も書いてきましたが、英語は第三者の視点からものごと見る言語です。
これに対して、日本語は当事者の視点からものごとを見る言語です。
そのため、わたしたち日本語ネイティブは日本語を話すときに当事者の視点で見たイメージを言葉にし、聞いた言葉を当事者視点のイメージに置き換えて理解しています。
この当事者視点は、私たちに染み付いていて、英語を話そうとするときにも反射的に当事者視点のイメージで処理しようとしてしまいます。
しかし、英語は第三者視点の言語なので、当事者視点の日本語のイメージとうまく対応していません。
日本語には、思いついたイメージにぴったりくる言葉があるのに、英語には思いにぴったりくる言葉がありません。
英語でも、「思いついたイメージがそのまま言葉になる」ような感覚、すなわち母語感覚を身につけるためには、英語の語彙や文法を身につけるときに、第三者視点のイメージで身につけるようにする必要があります。
以下、具体例を挙げて、英語と日本語のイメージがどのように違うかを示したいと思います。
■「行く」と「来る」、”go”と”come”
下の図を見てください。
日本語の「行く」と「来る」は図のような、当事者視点のイメージを持っているのではないでしょうか。
例えば、誰か知り合いが助けを呼んでいるとき、日本語では、
「すぐ行くよ。」
「今行くよ。」
など、「行く」を使うでしょう。「来る」を使う人はいないでしょう。
英語の場合、”go”と”come”は下のようなイメージになります。
上の例で挙げた、誰かが助けを呼んでいるときには、英語では、
”I’m coming.”
など、come(あるいは come の替りの be)を使って応えます。go は使えません。
状況を第三者視点から俯瞰的に見れば、助けを呼んでいる方に近づいていく場面であることから、come がぴったり来ることがすぐわかると思います。
この場合に go を使うと相手から離れていくようなイメージになり、逆の意味になってしまいます。
このように、第三者視点のイメージで英語の意味を身につけていれば、イメージにぴったりの言葉がすんなり出てきます。
これを日本語の「行く」のイメージから出発して come にたどり着こうとすると、「この場合、英語では話題になっている場所から遠ざかる場合が go で、近づく場合が…」などといちいち考えなくてはなりません。
これでは、とても母語と同じように話すことはできません。
■give と あげる・やる、くれる
もうひとつ例を挙げましょう。
英語では、
I give you a book.
You give me a book.
と当事者が入れ替わっても同じように give を使います。
日本語の場合は、
私があなたに本をあげる。
あなたが私に本をくれる。
というように動詞が違います。
私があなたに本をくれる。
あなたが私に本をあげる。
と聞くと、聞いた瞬間におかしいと感じます。
くれるのイメージとあげるのイメージが当事者視点では違うからです。
英語のgive を 日本語のイメージで理解しようとすると、くれるのイメージか、あげるのイメージかどちらかに振り分けなければならなくなります。
ここでも、第三者の視点からの give のイメージで処理すれば、反射的に理解できます。
■まとめ
以上のように、英語をより母語に近い感覚で話すためには、日本語の当事者視点のイメージではなく、第三者視点のイメージで英語を身につけなければならないことがわかります。
前回の記事でも少し書きましたが、日本語の訳語で英語の意味を理解することが、母語感覚をめざすためには、すごく障害になることもわかると思います。
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