英語に主語が必要なのはなぜ?

日本語では主語がないことがよくあります。
そもそも日本語には主語がないのだという人もいますし、省略されていると考える人もいます。
わかりきったものはわざわざ言葉にせずに省略するというのは人の自然な行動です。
それは洋の東西を問わないはずなのですが、英語では主語が分かりきっている場合でもほとんど省略しません。
分かっていても、IとかYouとかHeとかつけます。それはなぜなのでしょうか。
これにもこのブログで書いてきたように、「英語のものの見方」が関係していると考えられます。
英語は、話したいことを第三者的視点から俯瞰的に一枚の絵のように描写して、それを言葉にします。
そのため、「まずどこから絵を描き始めるか」を常に考えることになり、その起点が主語なのです。
聴く側としても、主語がなく動詞から始まると絵を描く起点が定まらず、なんとなくモヤっとした感覚になります。
例えば、ある3人グループで待ち合わせしていたとします。
B君とC君は待ち合わせ場所に到着していましたが、A君が待ち合わせ時刻に遅れていました。
その時、A君が来たのを見つけたB君は、
日本語では単に「来た!」というでしょう。来たのがA君なのはC君に対して言うまでもないからです。
ただ、この「来た」を絵にしようとして見て下さい。
一瞬戸惑ってしまいませんか?
He came!と言われればスッと絵を思い浮かべることができると思います。
また、主語が長いのが嫌われるのも、起点がいつまでたっても定まらないのが落ち着かない感覚があることに関係していると考えられます。

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■頭の中の考えを言葉にする

それは外の情景を描写する場合だけでなく、頭の中にある考えを言葉にする場合にも当てはまります。
頭の中に図のようなものを思い浮かべ、その起点になるものを決めて主語にします。

■無生物主語

Five minutes’ walk will take you to the station.
(五分歩けば駅につくでしょう。)
The picture reminded me of the school days.
(その写真を見て学生時代を思い出した。)
これらの文のように人や生き物以外のものを主語において文をつくる場合を無生物主語といいます。
訳文を見てわかるように、英文の主語の部分が日本語では主語として訳されていません。
「日本語のものの見方」は当事者に乗り移ったかのように当事者の体験を再体験するというものです。
そのため、無生物の立場にたってものごとを体験するという感覚を作り出すのが困難であることから、小説の中とか以外では無生物主語はほとんど用いられません。
英語の場合は、前項で書いたように、頭の中の考えを言葉にする場合も、頭の中にある図を言葉に置き換えていきます。
無生物主語の英文のような場合は、上の例でいうと、
五分歩く → 駅
写真 → 学生時代
という図式が頭の中にあり、その図の起点として、「五分歩くこと」「写真」が選ばれているのです。
英文を、聴く側・読む側としても、この図式を頭に描けば英語のまま意味がスッと頭に入ってくるのではないでしょうか。
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