英語の単語は一般的に内容語と機能語に分けられます。
何が内容語で何が機能語かは、いろいろ見解があるようですが、
内容語がそれ自体で独立した意味内容を持つ語で、
機能語が内容語の意味を補充・調整したり、内容語と内容語の関係を表したりする語
といったおおよその区別だと思います。
このブログでは、
名詞・一般動詞・一般的な形容詞・副詞を内容語として扱い、
助動詞・冠詞・前置詞・接続詞を機能語として扱います。
以下、どちらにあたるか明確でないものについて、大まかに説明します。
■be動詞
be動詞については、助動詞的役割と一般動詞的役割を合わせもっています。
I am in the office.
I’ll be back.
のように、existやcomeの意味を持つ場合は一般動詞と同様、内容語としてみることができます。
その他の場合、
I am a teacher.
She is beautiful.
等の場合は、名詞や形容詞にくっついて状態動詞化する役割を果たしており、それ自体の意味は希薄ですので、
ほぼ機能語としてみることができます。
進行形や受動態をつくるbe動詞も助動詞としての役割を果たしています。
■人称代名詞
人称代名詞についても、内容語と機能語の両方の性質を持っています。
I=the speaker
you=the listener
he=the man
she=the woman
it=the thing
などを表しており、
「theプラス名詞」
の意味を持っています。
つまり、theの部分が機能語、名詞の部分が内容語になっています。
■ネイティブのこどもはどのように機能語を自動化・無意識化しているか
機能語は、抽象的・観念的な意味しか持っていないので、ネイティブのこどもにとってもなかなかその意味・役割を理解することが困難です、
そのため、内容語と比べて身につける時期は一般的に遅いです。
では、ネイティブの子どもはどのように機能語を身につけていくのでしょうか。
それはおそらく、内容語とセットで使うことにより、少しずつ機能語の使いかたを覚えていくのだと思います。
例えば、
a と the の意味を抽象的に比較するのではなく、
street 、 a street 、 the street
という風に具体的な内容語にくっつけて、そのイメージ、感じを比較して身につけていくのではないでしょうか。
助動詞についても、
go と will go
help と can help
arrived と have arrived
など具体的な動詞にくっつけて意味を感じ分けていくことで身につけていくのだと思います。
■名詞の可算・不可算、単数・複数
機能「語」ではないですが、名詞の単数・複数を~sの有無で判断しなくてはいけません。
また、その前提として、名詞が可算か不可算かも考えなくてはいけません。
日本語訳に頼って理解しようとすると、冠詞や単数・複数の意味が日本語訳にあらわれないことが多く、正確な意味をとらえることができません。
名詞をみたときは、常に可算・不可算、単数・複数、冠詞の意味をきっちりおさえることを癖づけるようにし、無意識化するまで繰り返しましょう。
■時制(テンス)
これも特定の機能語の話ではないのですが、述語の最初に来る語が時制を表します。
時制には、現在テンスと過去テンスがあります。(未来テンスはありません。willは現在形です。)
過去テンスは、
①過去の時をあらわす他に
②現在の事実と異なる仮定の事実(仮定法過去)
③控え目、丁寧さ
を表します。
これらのものに共通するのが、過去テンスの持つ「距離感」です。
この「距離感」は、英語が、「今・ココ(here and now)」に固定した立ち位置からものごとを見ていることから来ています。
まず、①過去の時は、「今」から時間軸を遡って離れており、今との間に距離感が感じられます。
②現在の事実と異なる仮定の事実は、「今・ココ」の現実から離れており、これも現実との間に距離感が感じられます。
③控え目、丁寧さは、「今・ココ」から一歩引いて距離をとっており、これもまた、距離感が感じられます。
このように、①②③の全く関係ないように思われる意味も、実は「距離感」という一つの感覚でつながっており、共通の感覚で処理することができます。
■日本語と英語の立ち位置、ものの見方、理解の仕方の違い
ここで日本語と英語の立ち位置、ものの見方、理解の仕方の違いについてまとめておきましょう。
日本語 その時・その場所に移動、当事者の立場からその見たまま、当事者の体験を再体験
英語 今・ココに固定 、第三者の立場から俯瞰的に 、話者の見たものを一枚の絵に再現
日本語の、その時・その場所に移動という感覚は実感できるでしょうか?
例えば、
「先月、京都でさぁ~…」と聞くと、なんとなく先月の京都に行ったつもりになっている感覚に気づきませんか?
「太郎君が殴られた」と聞くと、一瞬太郎君になって殴られてませんか?
まあ、このあたりは無意識に処理される部分でもあり、個人差もあると思われるので、感じなくてもなにも問題はありません。
■雪国
吉幾三ではなく、川端康成の小説『雪国』です。
この『雪国』とサイデンステッカーの英訳 『Snow Country』は日本語と英語の違いをよく表しているものとして比較されることが多いです。特に冒頭の一文の比較がよくなされます。
『雪国』の冒頭
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
『Snow Country』の冒頭
「The train came out of the long tunnel into the snow country. 」
ここでは立ち位置とものの見方について見てみましょう。
川端の原文では、移動する列車の中の乗客の立ち位置から見ています。そして、その体験を時間の経過とともに追っています。
これに対して英訳では、雪国側のある位置からトンネルの出口辺りを見ていて、列車が出てくる様子を観察している感じがします。
まさに、日本語の「その時・その場所に移動、当事者の立場からその見たまま」と
英語の「今・ココに固定、第三者の立場から俯瞰的に」という立ち位置・見方の違いが、よく表れていますね。