英語の言語運用能力を身につけるためにはどうすればいい?

言語運用能力とは、どういうものなのでしょうか。
それは言語知識を高速で処理する能力なのでしょうか。
確かに、記憶している英語の語彙を文法知識に従って並べて
それを文字や音声にすれば、正しい言語を書いたり話したりすることができるでしょう。
また、聞こえてきた音声や書いてある文字を、記憶している語彙や文法の知識を使って読み解けば、正しく理解することができるでしょう。
であれば、英語の語彙や文法知識をできるだけ早く処理できるようにすることが言語運用能力を高めることになるような気もします。

■母語話者は文法知識に従って話しているのか?

しかし、私たち日本語ネイティブが日本語を話すとき、語彙や文法知識を駆使している感覚はあまりありません。
ただ思っていること口に出そうとすると、そのまま言葉になる
というような感覚ではないでしょうか。
それでもわたしたちは、記憶している語彙を文法知識に従って並べているといえるのでしょうか。
この点については、「私たちは学習したことを忘れているだけで、文法知識を身につけているのだ」、という主張もあります。
確かに、文法を身につけていないのに、文法的に正しい日本語を話すのは至難の業でしょう。
文法用語を使って説明することはできないけれども、文法自体はちゃんと身につけている、と解することもできます。
ただ、ひとつ疑問があります。
わたしたちは中学校で日本語の文法を習ったと思いますが、それを習ったときに、
「そうそう。わたしはこういうルールで日本語を話しているよ。」
と納得しましたか?
それがわたしたちがいつも使っているものであるならば、文法を勉強したときに、胸のつかえが取れるというか、
しっくりくる感じというか、目から鱗が落ちるというか、
そんな感覚になりそうな気がするんですが、
わたしは、
「ふうん。そういうものか…。」
という、わかったようなわからないような感覚をもった覚えがあります。
あとで知ったことですが、日本語の文法も学者によっていろいろな見解があるそうで、わたしたち日本語ネイティブが身につけている日本語文法というのは、どの学者の主張する文法なのでしょう?

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■学者が作った文法

そもそも、学校で習う文法は、
わたしたちが頭の中でどのように文章を作り出しているか、
を直接研究して発見されたものではありません。
すでに発せられた日本語の文章から、ルールを見出そうとして作られた体系なのです。
つまり、言葉を発するときに用いているルールを直接研究したものではなく、できあがった文章を題材にして、言葉を発するときに従っているルールをあくまで推測しているにすぎないのです。
例えば、
「れる・られる」って教わりましたよね?
「受身」「尊敬」「自発」「可能」の意味があるって教わりませんでしたか?(年代によっては違うかもしれません)
でも、「れる・られる」を使うときにこんな分類してますか?
使っている者の感覚としては「れる・られる」は「れる・られる」でしょう。
わたしの感覚では(あくまで個人的な感覚です)、「れる・られる」は「他力感のようなもの」で処理している感じがします。
もっとも、わたしたちは文法を無意識的に使っているので、実際のところ、それがどのようなものなのかはわかりません。わたしたちの感覚で単純な処理をしているように感じていても、無意識下では複雑な処理をしているのかもしれません。
しかし、子どものほぼ100%が身につけられる文法ですから、やはり、ある程度シンプルなものではないかと考えてよいのではないかと思います。

■言語知識の高速処理

これを前提とすると、
学者の文法を覚え、それに従って高速処理することは、
ネイティブと同レベルの言語運用能力を身につけることには、直接にはつながらないのではないか、と考えられます。
もちろん、複雑な文法を常に意識して高速に処理しようとすることを繰り返していると、いつかは無意識的に処理できるようになる日が来る可能性も否定はできません。
しかし、ネイティブが話すときに使っている、よりシンプルな文法があるのなら、それを直接身につけた方が効率がいいし、楽に話したり理解したりできるのではないでしょうか。

■話すときの無意識的処理と意識的処理

とはいっても、先に述べたようにその文法の処理が無意識に行われている以上、それがどんな文法かを知ることは困難です。
ただ、ネイティブの言語活動のすべてが無意識になされるわけではありません。
無意識になされる部分と意識的になされる部分があります。
わたしたち日本語ネイティブが日本語を話すとき、
「内容」に意識を向けています。
内容語を拾っていく感じと言い換えていいかもしれません。
その他の機能語(助詞や助動詞)、語順などは特に意識していません。
大雑把にいってこのように分けられるのではないかと思います。
試しに、他人が話しているのを、機能語である助詞や助動詞に意識を向けて聞いてみてください。
内容が頭に入って来にくくなると感じられると思います。

「わたしは~、〇〇ちゃんが~、〇〇くんと~、…」
というふうに語尾を上げるしゃべり方があまり何を言ってるのかよくわからないのも内容から意識が逸らされてしまうからだと考えられます。

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■内容語と機能語

内容語が意識的に処理されるのは、
それが無限にあり、聞いたこともないものも含まれるため、処理になかなか慣れることができないからです。
これに対して、機能語の数は有限であり、その組み合わせのパターンも有限です。
そのため、その使用に熟練することによって自動化、無意識かされるのだと思います。

■ネイティブの言語運用能力を身につけるためには

とすれば、外国語についても、
機能語の処理と語順を無意識化
すれば、
ネイティブの言語運用能力が身につけられるのではないか、という方向性が見えてきます。
しかし、ここで疑問があります。
機能語は頻出単語の上位200語~300語の範囲にほぼ収まります。
そして、英語の語順についても勉強してきっちり理解している方は多いでしょう。
とすれば、英語にたくさん触れてきた人であるならば、
膨大な量の機能語に触れてきているはずだし、英語の語順もたくさん体験してきているはずです。
それなのに、なぜ機能語と語順の無意識化が起こらないのでしょう?

次回は、無意識化・自動化の壁とその解決策について書いていきたいと思います。

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