文法書の文法とわたしたちが使っている文法

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■文法の学習

前回に、大人の有利な点として、抽象的な概念を説明によって理解できるということを書きました。
ネイティブの子どもが母語を身につけていく過程で少しずつ法則性を見出しながら文法を習得するのに対して、日本人の大人は文法書で文法を学び、その型を繰り返すことにより効率的に文法を習得することができそうです。
しかし、以前も少し書きましたが、ネイティブが話すときに使っている文法は文法書の文法とは違うのではないでしょうか。
分厚い文法書一冊使わないと説明できないような法則をネイティブが使いこなしているとはとても思えません。
ネイティブが使っている文法はもっとシンプルでゆるいものなのではないでしょうか。

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■言葉の意味もゆるい

文法だけでなく言葉の意味も、辞書に載っている言葉の意味とネイティブが思っている意味とでは厳密さが全然違うように思います。
辞書を引いて言葉の意味を調べた時も、
「ああ、こういう意味か。」
と一読して済ますのが普通ではないでしょうか。
辞書に書いてある言葉の意味の説明を厳密に読んでそれをしっかり守ろうとか思いませんよね。
わたしたちが、言葉の意味をゆるく捉えている表れとして、言葉の意味の変化や派生が考えられます。
最近すっかり定着したポジティブな意味での「ヤバい」ですが、多くの人の脳内では、「ヤバい」がネガティブかポジティブかは重要ではなかったのでしょう。
そのため、ポジティブな意味で使われることを多くの人が受け入れたのでしょう。
「ヤバい」と同じようにネガティブとポジティブ、プラスとマイナスの意味を両方持つような言葉はたくさんあります。
これはもともとどちらかの意味だったのが、反対の意味も持つようになったものです。
「貴様」「御前」。
これらは文字通り相手を敬うときに用いられる言葉でしたが、いまではむしろ見下す方にしか使われなくなりました。
「奇特な人」
本来善良な素晴らしい人というプラスの意味ですが、変な人・奇妙な人というマイナスの意味にも使われるようになっています。
「辟易する」
最近、神田松之丞のラジオで知ったのですが、ネガティブな意味の他に、「相手の勢いに圧倒されてしりごみすること。たじろぐこと。」というプラスまではいかないにしてもマイナスではない意味があるそうです。
このようにわたしたちの脳は言葉の意味に関して、かなりゆるく大雑把に捉えているようです。
そんな脳が、文法に関してだけ、文法書のような細かい分類をして正確に守っているとはとても思えないのです。

■文法の変化

文法も言葉の意味と同じように変化します。
一時期すごく叩かれた「ら抜き言葉」があります。
テレビ番組とかで叩かれているのを聞くことはあまりなくなりましたが、登場人物がら抜き言葉をしゃべっているのに、テロップの方はきっちり「ら」が入っていたりするので、まだまだ「ら抜き言葉」にうるさい視聴者がクレームを入れたりしているのでしょう。
わたしは「ら抜き言葉」が普通の岡山弁を話すので、なぜ「ら抜き」が叩かれるのか納得いきませんが、そこは変化することに合理性があるのと同時に、変化しない方にも合理性があるのでしょう。
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