the は感覚的にどのように処理されるか?

定冠詞のtheをつける場合として、文法書では一般に、
「話し手が聞き手にとって対象が特定できると考えている場合」
と書かれています。
つまり、話し手が、「これ分かるよね?」と思うときにはtheを付けます。
別の言い方で、「共有感覚」と説明されることもあります。

■固有名詞とthe

固有名詞の場合、原則としてtheはつけません
前項では、共有感覚があるときにはtheをつけると書きましたが、固有名詞の場合は一つに特定できるので、共有感覚があり、theをつけるのが自然であるようにも思われます。
しかし、原則としてtheはつけません。(例外としてtheをつける場合もあります。)
なぜ固有名詞の場合はこのようになっているのでしょうか。

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■原則として固有名詞にtheをつけない理由 ー 限定詞(determiner)

定冠詞のtheは限定詞のひとつです。
限定詞には、他に不定冠詞(a/an)や人称代名詞の所有格(my/your/etc.)などがあります。
限定詞は日本語にはありません。
これは以前にも述べた英語と日本語のものの見方の違いによります。
日本語は、当事者の体験をそのまま言語化し、聞き手は当事者の立場にたって当事者の体験を再体験するという言語です。
そのため、話し手は体験をそのまま言葉にすればよく、聞き手の理解を容易にするように配慮はしません。
これに対して、
英語は、話し手が状況を第三者の立場から俯瞰的に見て、その全体像を描写し、聞き手はその像を再現するという言語です。
そのため、話し手は自分の描写した像を、聞き手が再現しやすいように配慮をします。
この聞き手に対する配慮のひとつが限定詞です。
名詞チャンクの冒頭に限定詞を持ってくることによって、後に出てくる名詞を限定するためのヒントを聞き手に与えているのです。
定冠詞theは、あとに来る名詞が聞き手のわかっているものであるということを示して限定のヒントを与えています。

■固有名詞にtheをつける場合

固有名詞の場合は、ひとつのものにひとつの名前が与えられています。
そのため、そもそも限定の余地がありません。
その名前をもつものはもともと一つしかないからです。
ここから、固有名詞にtheをつける例外的場合がどういう場合かは、固有名詞であっても「限定の余地がある場合」と推測することができます。
①複数のものがくっついているような場合や、②幅や長さ、広がりがある場合、③普通名詞のような場合にはなお限定の余地があり、固有名詞の場合でもtheが付けられます。
the Alps(アルプス山脈)→複数形、山脈は広がりがある
the Sea of Japan(日本海)→広がり。海は物理的にはひとつであるが、いろいろな海がある
the Nile(ナイル川)→川は長さがある、普通名詞riverが省略されたとも考えられる
the White House(ホワイトハウス)→普通名詞
the Sahara Desert(サハラ砂漠)→広がり
the Persian Gulf(ペルシャ湾)→広がり。これに対してTokyo Bay(東京湾)は狭い(広がりが感じられない)ので無冠詞。

■さらにtheがつく、つかないが説明できそうにない場合

the Matterhorn(マッターホルン)←→Mt. Everest(エベレスト)
the Eiffel Tower(エッフェル塔)←→Tokyo Tower(東京タワー)
雑誌にはtheがつかないが、新聞にはつく。
Time(タイム)Newsweek(ニューズウィーク)←→The Wall Street Journal(ウォール・ストリート・ジャーナル)The New York Times(ニューヨーク・タイムズ)
以上のような例は、どうしてtheがついたりつかなかったりするのかを、「限定の余地の有無」で説明することは困難です。
最初の項で、theの感覚は「共有感覚」であると書きました。
そのため、限定の余地がない場合でも、「共有感覚」が強い場合には、theをつけたくなってつけてしまうのではないでしょうか。
「共有感覚が強い」場合とは、対象を誰もが知っている常識のような場合、深く日常に浸透しているような場合です。
そして、その感覚は英語圏・欧米の人々が基準となります。
上の例でいうと、世界的にはエベレストの方が超有名ですが、欧米の人にとっては、アルプスのマッターホルンの方がなじみがあるのでしょう。
エッフェル塔と東京タワーについても同様です。
雑誌と新聞の違いも新聞は毎日読むもので日常に深く浸透しており、雑誌よりも共有感覚が強いのでしょう。

■ひとまずのまとめ

定冠詞theは、限定詞なので限定の余地がある場合に用いられるのが原則で、それは固有名詞の場合にもあてはまる。
ただ、限定の余地がない場合でも、共有感覚が強い場合には用いられる。

■聞き手に対する配慮

さらに、the について書いていきたいと思います。

ここまで、theは、
話し手が、名詞が聞き手の特定可能なものであることを示すことにより、聞き手に対して限定・特定のヒントを与えるもの、
であるということを書いてきました。
つまり、その名詞が、
「あなたの知っているものですよ。あるいは、知ることが可能なものですよ。」
と、手掛かりを与えているわけです。
ただ、これは裏を返せば、ヒントを与えているだけで、
「これ以上は説明しませんよ。」
と、説明を放棄しているわけです。
話し手は聞き手が特定できるだろうと思ってtheを使った場合でも、実際に聞き手が特定できるとは限りません。
いろいろ英文をみていると、「この”the”は相手方が特定できそうもないのに、なぜ使われているんだろう」、と思われるものがあります。

以下、その例について考えていきます。

■例その1

山田さんが、田中さん夫婦の家に招かれたとします。山田さんは田中さんの家を訪問するのは初めてです。山田さんはリビングに案内されました。奥さんの姿が見えないので、山田さんは田中さん(夫)に「奥さんはどこにいらっしゃるんですか。」と尋ねました。それに対して田中さんは、
She is in the kitchen.
と答えたとします。
この場合、山田さんはキッチンの場所を知りませんし、キッチンがあるかどうかも見たことがありませんが、the kitchenということができます。
それはどうしてでしょうか?山田さんと田中さんはキッチンの情報を共有できてないように思われるのに、なぜtheが使えるのでしょう?
社会一般の常識として「典型的な家」のイメージがあります。その「典型的な家」にはキッチンが存在しています。ほかにもリビングやトイレ、お風呂なども「典型的な家」にはあるといえるでしょう。
この「典型的な家」のイメージを二人は共有しており、田中さんとしては、山田さんが「家にはキッチンがあるものだ」ということを知っている前提で話すことが許されます。
そして、この場合は、具体的な田中さんの家のキッチンではなく、「抽象的なキッチン」として特定の程度が緩くなっています。
田中さんはその程度の特定しか意図していませんし、山田さんもその意図はわかるからです。
これに対して、例えば、田中さんが
She is in the nuclear shelter.(核シェルターにいるよ)
と答えたとします。
この場合は山田さんは「え!?核シェルターがあるんですか?」という反応になり、theを使って核シェルターがあることが当然のように言うことに違和感を感じるでしょう。
(国によっては違和感を感じない場合があるかもしれませんが)

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■例その2

AさんとBさんが街を歩いていた時、Aさんが自動車と接触する交通事故にあったとします。このときAさんは痛いところはなかったのですが、Bさんは、
You should go to the hospital.
と言いました。
この場合、Aさんがどこの病院に行くかはわかりませんし、Bさんも特定の病院をイメージしているわけではありません。
それでもthe hospitalで問題ありません。
社会一般の常識としての「典型的な交通事故」のイメージがあり、BさんはAさんに対してそれを共有していると期待することができます。
交通事故にあった人は病院に行くというのが典型的なイメージであり、抽象的に「交通事故にあったひとが行く病院」という意味でBさんは発言し、Aさんもその意味で特定できているのです。

■例その3

いわゆる「総称のthe」といわれるものがあります。
例えば、the Japanese とか the dog とかで日本人、犬全体を表します。
この場合、theの共有感覚は何を対象としているのでしょうか?
総称のtheを使う場合、「典型的なもの」をその集合の代表としてイメージさせて全体を表します。一部を以って全体を表すということです。
共有するのは、この「典型的なもの」です。
上の例でいえば、「典型的な日本人」「典型的な犬」です。
「典型的な日本人」であれば、勤勉、大人しい、礼儀正しいなど、「典型的な犬」であれば、吠える、かみつく、人懐っこいといった感じでしょうか。
ここで注意しなければならないことは、「典型的○○」というものが充分に広く社会的に受け入れられたものでなかったり、そもそも典型的なものなど存在しない場合もあるということです。
そのような場合に話し手が総称のtheを用いると、話し手のひとりよがりなイメージを聞き手に押し付けることになったり、時には差別的な発言になってしまう場合もあります。「あなたも知ってるように日本人ってやつは云々…」というような発言が問題となりうることは想像に難くないでしょう。
総称の言い方は他にもあるので(Japanese peopleとかdogsとか)、無理に総称のtheを使おうとしなくてもよいでしょう。

■We Are The World

ある程度以上の年齢の方はご存知だと思いますが、USA For AfricaのWe Are The Worldという曲があります。
当時は「よくこれだけのメンバーが集まったなあ」と誰もが思うほどで、かなり長い間チャート1位を続けていた記憶があります。
若い方でも、ハイチ地震のときにリメイクされたので、それでご存知の方もいらっしゃるかと思います。
このWe Are The Worldの歌詞に、
”We are the world. We are the children.”
という一節があります。
この the world、the childrenのtheは総称のtheで、 the worldは世界人・地球人、the childrenは兄弟姉妹・同じ神の子、といった感じの意味でしょうか。
この場合、そもそも地球人や神の子の典型的なイメージなどなく、聞き手は話し手の持っているイメージを思い浮かべようがないのですが、押しつけがましさよりは、むしろtheの持っている共有感覚が、連帯感、共感や親近感を感じさせるように思われます。

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■itの共有感覚

itは人称代名詞です。
人称代名詞のheがthe man、sheがthe womanを表すように、itはthe thingを意味するので、itにもtheの持つ共有感覚があります。
It is cold.
It’s five minutes past seven.
It’s Monday.
It’s 5 kilometers from here.
など、天候、時間、曜日、距離などを表すときにitを使いますが、これは私たちみんながこの時間と空間を共有しているという感覚からきているのだと思います。

■ふたたびここまでのまとめ

theを使うときの気持ちとしては、
①対象の限定の余地があり、②話し手と聞き手の間に共有感覚があること
が必要だということでした。
対象に限定の余地がなければtheを使う必要がない(必要性)
対象の情報を聞き手が共有していてはじめて、さらなる説明なしで特定が可能となる(許容性)
からです。
ここまで主に②の共有感覚について疑問点を書いてきました。
ここからは①の限定の余地について書きたいと思います。

■the による限定の余地について

■①The sun rises in the east.

The sun rises in the east.にはtheが2回使われていますが、
まず、
the sun の方は限定の余地があるでしょうか。

■The sun の the について

太陽はひとつしかないから限定の余地がないように思えます。実際そのように書いている文法書やそのように考えているネイティブもいるようで、むしろひとつしかないからtheをつけると主張されていたりします。
しかし、そのように考えるのは限定詞の機能から考えてシックリきませんし、ひとつしかない固有名詞にtheをつけないのが原則であることを統一的に説明することができません。
太陽はわたしたちの太陽系以外にも存在しており、たくさんのsunの中からthe sunはわたしたちの太陽系の太陽に限定していると考えるのが一番すっきり納得できるでしょう。

■少し脱線

前項で、sunはひとつしかないからtheがつくと考えているネイティブもいると書きましたが、実際のところ、多くのネイティブは”the sun”というひとまとまりの言葉として覚えており、どのような場合にtheがつくかということについては、深く考えていないネイティブがほとんではないでしょうか。
theがつく理由を考えてる一定数の人の中に、sunはひとつしかないからtheがつくと考えている人もいるという感じだと思います。
もちろん、わたしたちも多くのネイティブと同じように深く考えずに”the sun”としてただ覚えてもよいのですが、シンプルなルールがあるのなら、それを知っておいた方が学習の効率も上がります。
また、ネイティブが知識として持っていることと、実際言葉を話すときに無意識下で行っている作業とは異なることも考えられます。
ネイティブが言っていることだからという理由で、わたしたちもそのまま取り入れるのではなく、ちゃんと検討した方がよいと考えます。

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■もとに戻ります。the east の the について

次は、the eastの方です。
これもtheをつけることによって、eastが限定されていないように思えます。
eastはいくつもあるわけではありません。
では、なぜtheがつけられているのでしょう?
theにより限定される場合とは、言い換えれば、「同種のものの集合からひとつの要素を取り出す場合」です。
the kitchen というときは、同種のkitchenがいくつかある中から、ひとつのkitchenを取り出すのです。
eastはwestとともに、方角という名前の集合の要素です。
eastとwestは言葉自体違いますし同種とは言い難いですが、それぞれ対等で優劣もなく同レベルのものであるとはいえるのではないでしょうか。
このような同レベルのものが集まった集合からひとつのものを取り出す場合は、同種のものの集合からひとつの要素を取り出す場合とよく似ており、同じようにtheを使ってひとつの要素を取り出すことができるのではないかと考えます。
他にも、leftとrightからどちらかを選ぶ場合も、the left,the rightとすることができます。

■play the 楽器

このことを推し進めると、play the piano/guitar のtheも説明できるのではないでしょうか。
楽器の演奏は昔は楽団、オーケストラでなされるのが一般で、それぞれの楽器は対等のパートとして捉えられていた。
そのため、ひとつの楽器を演奏する場合にtheがつけられ、今も残っているのではないか、と。
これに対して、例えば楽器を製作する(make)場合には、theはつきませんが、楽器の製作は、それぞれの楽器で材料や作業工程、大きさなど大きく異なっています。
製作という面では他の楽器と対等な関係にはないので、theを使わないと考えられます。
(多分に想像・妄想を含んでおりますことをご了承下さい。<(_ _`)>)
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