■英語を英語のまま理解する
前回は英語を日本語を介して理解することで、時間がかかってネイティブのスピードについていけないということに加えて、そもそも英語の意味を正確にとらえていない、ということを書きました。
そこで、よく言われるのが、英語を読み聞きするときに、
英語を英語のまま理解しなければならない
ということです。
しかし、英語のまま理解しなさいと言われて、それをすぐに実践できるのであれば誰も苦労しません。
わたしたち日本語ネイティブにとって、ものごとを理解するということが日本語と不可分に結びついているからです。
逆に、英語で話すときに、
英語を英語のまましゃべる
ことが必要になると思いますが、こちらの方がさらにどうすればよいのかわかりません。
■日本語における理解の特徴
次の文のなかで、どれが一番自然な(楽に理解できる)日本語でしょうか。
① 太郎が 花子に 今日 校舎の裏で 告白を した。
② 今日 太郎が 花子に 告白を 校舎の裏で した。
③ 太郎が 今日 花子に 校舎の裏で 告白を した。
④ 今日 校舎の裏で 太郎が 花子に 告白を した。
どの文も文法的には間違いはありません。
おそらく一番自然と感じるのは④だという人が多いのではないでしょうか。
④の文は
【いつ】【どこで】【だれが】【だれに】【なにを】【どうした】
の順で書かれています。
背景→登場人物→行為・状態
あるいは、
外から内へ
と順番に並んでいるからイメージしやすい。
他の文は、いったん内にきて、また外に戻ったりという感じで、ギクシャクしているのです。
ところで、この順番をどこかで聞いた覚えはありませんか?
むかしむかし、あるところに、おじいさんと、おばあさんが、住んでいました。
という昔話の冒頭と同じなんです。
昔から日本人はこの語順に馴染んでいるのだと言えます。
では、なぜこのような順番を私たちは「自然である」と感じるのでしょうか。
それは、わたしたち日本語ネイティブは、
言葉を発するときは体験をその順番で言葉に置き換え、言葉を理解するときは言葉をその順番で再体験することで理解する
からであると考えられます。
つまり、ある時、ある場所に身を置いて
登場人物を把握して、
登場人物が行動する。
という順番で体験しているのです。
「本を→読む」という順序も、まず本が存在しないと読むという体験ができないから、この順序になっているわけです。
■英語における理解の特徴
日本語しか知らないわたしたちには、
「言葉を体験し直す以外に理解の仕方があるの?」
と疑問に思うかもしれません。
しかし、他の理解の仕方があるのです。
英語がまさに違う理解の仕方をしているのです。
I bought a book at the bookshop yesterday.
だと、
【だれが】【どうした】【なにを】【どこで】【いつ】
の順番で書かれており、これは一般的な英語の文の語順です。
これを語順どおりに体験する形で理解しようとするとうまくいきません。
前の項でも書いたように、対象物である「a book」がない状態で「bought」しなければならなくなってしまいます。
また、【どうした】という体験が終わった後で、その舞台である【どこで】【いつ】が出てくるのもしっくりきません。
英語は、主語を起点として、主語に近いことから順番にイメージをつないでいき、最後に場所、時間へと至ります。
日本語とは逆に内から外へと述べていきます。
まさに一枚の絵を完成させるようにして理解します。
この一枚の絵は、話者が場面を俯瞰で見た全体像なのです。
つまり、日本語では、
当事者に乗り移るような感覚で、話者が当事者の体験をその順序通りに言葉を並べ、
聞き手も当事者に乗り移るように言葉の順序で再体験して理解します。
これに対して、
英語では、
話者は自分から抜け出て上空から場面全体を見て、その映像を言葉にする。
聞き手は言葉の順序に従ってイメージを並べて話者が描いた絵を再現するのです。
このように、
日本語と英語では、
ものの見方、理解の仕方が違うのです。
そのため、体験型である日本語のものの見方や理解の仕方をそのままにして、
俯瞰描写型の英語を話したり理解したりすることは非常に難しいのです。
■語順以外にもものの見方が違いをもたらす
例えば、
相手に目をつむって欲しい場合
日本語なら、
「目を閉じてください」
といいますが、
英語では、
”Close your eyes.”
といいますね。
日本語で
「あなたの目を閉じてください。」
と言うと、何かの実験をしているような感じでまどろっこしくなってしまいます。
この違いも日本語と英語のものの見方の違いから説明できます。
日本語では、
当事者の視点からの体験をそのまま言葉にします。
この場合、話者の視覚には相手の顔しか見えていません。
そのため、話者にとって目は相手の目しかなく、
「あなたの」をつける発想になりません。
これに対して、英語では、
俯瞰的に場面を見ているので、
話者には、自分と相手の両方が意識されています。
そのため、自分の目と相手の目のうちどちらかに特定するために ”your” が自然につけられるのです。
■I love you. と あなたが好きです。
英語の ”I love you.” に対して、
日本語では「あなたが好きです」と「わたしは」を付けない方が自然です。
この二つの違いも同様に説明できます。
日本語では、当事者視点で体験していることを言葉にします。そのため私自身は見えていないので、言葉にするのは、「あなた」と「好きという感情」だけです。
これに対して、英語では、俯瞰的に見ているので、 ”I” が意識されて言葉にあらわれるのです。
■言語とものの見方の関係はどのようになっているか
このように、ある言語とその背後にあるものの見方とは切り離せない関係にあり、
その言語を身につけるためには、その言語の持っているものの見方もいっしょに身につけなければ発想がダイレクトに言葉に表現される状態になりません。
日本語には日本語の見方が、
英語には英語の見方が
ぴったりとハマるのであって、
日本語の見方をしていれば、日本語が自然に出てくるし、日本語を聞いたときも自然に理解できます。
逆に、英語の見方をしていれば、英語が自然に出てくるし、英語を聴いた時も自然に理解できるのです。
日本語の見方を維持したまま英語を操ろうとすると、
どうしてもズレが生じてしまい、何らかの修正を頭の中でしなければならなくなります。
その修正が時間的ロスにつながりますし、話すときの「しんどさ」にもなります。
先ほどの例でいえば、
「英語では、eyesの前にyourをつけなくちゃいけないんだな」
といちいち考えなければならなくなり、そのため、会話のスピードも遅くなるし、疲れてしまうのです。
■では、どのようにして英語の見方を身につけるか
英語ネイティブの子どもが特にものの見方を意識して英語を身につけたわけではなく、英語を身につける過程で自然とものの見方も身につけていることからすれば、英語をくりかえし使うことにより身についていくということになるでしょう。
英語を使うときには英語の見方をするのが最も楽なわけですから、日本語的な見方に固執せずに英語を使い続けていると、だんだん英語のものの見方も身についていくでしょう。
もっとも、自覚せずに日本語的な見方をしてしまいがちですから、英語のものの見方とはどういうものかということについて書籍がたくさん出ていますから、並行して学習するのがいいと思います。
次回、学習方法について考えていきたいと思います。